蟲供養で茶華道にふれてきました。

=========== 蟲供養の紹介文 ===========
蟲供養縁起
今より千三百年以上もの昔、行基菩薩が都大路や山野を行脚されたおり、壷を腰にさげて道行くごとに虫のなきがらを拾い集め供養されたが始めと伝えられる。
また、拇尾の明恵上人もこれに習い、虫塚を立てられ、年々その供養をされた。
明治に入っては歌僧、藤村叡運僧正が、なにわの文人、墨客、風流人たちに呼びかけ、この虫塚供養を復興され、堺の源光寺、寺町の万福寺を経て、昭和十四年より関西の虫どころ箕面西江寺へ移った。
以来七十年、年々歳々この行事は盛大になり、大阪はもとより関西一円の茶華道、画家、歌人、
俳人、僧、墨客たち、風流人のなくてはならぬ床しい催しものとなった。
歌によまれ、絵に書かれ、耳に快い虫の音も、ひと時のはかない草の露ときえ、誰からも供養されぬを悲しみ、紅葉の名どころでもある虫の箕面の人々が志を集めて蟲塚をまつり、とわに秋に耳を傾け、絶えぬ文化とその音に一座を開き、いくとせも蟲の愛護者とならんことを願っている。
ちなみに、西江寺境内にしつらえる蟲塚は、元法隆寺管長、まほろばの僧と呼ばれし佐伯定胤師の筆による。
「蟲」は虫にとどまらず森羅万象ことごとく「蟲」にして、人もまたはだか虫と言われ、虫の好く者も好かぬ者も、たとえ虫の居所が悪くとも腹の虫をおさえて、まずは一服お茶でも召し上がりながら今日一日は仙境に遊び、風流人となられんことを。
同人敬白
○寂しさや 釘にかけたる きりぎりす 芭蕉
○いとほしく 久しく生きて 虫の髭 青々
○いま鳴くや もみじの山の 夜の虫 来布
箕面蟲供養万鐙会